AIを禁止する教育
AIを禁止する教育で、本当に子どもたちは未来を生きていけるのか?
昔、馬車が移動手段の主流だった時代がありました。
そこに、ある日「自動車」というものが登場します。
当時の自動車は、今の自動車とは比べものにならないくらい性能も低かったでしょうし、故障も多かったと思います。排気ガスも出ます。道路だって今ほど整備されていません。
おそらく当時は、
「こんなものより馬車の方がいい」
「馬ならこんな故障はしない」
「自動車なんて危ない」
そんなことを言う人もたくさんいたのではないでしょうか。
しかし、今はどうでしょう。
もちろん観光などで馬車に乗ることはありますが、日常の移動手段として「大阪から東京まで馬車で行こう」と考える人はいません。
自動車という新しい技術が登場し、社会全体がそれを使うことを前提に変化していったからです。
同じようなことは、そろばんから電卓への変化にもあったと思います。
昔は、そろばんをものすごい速さではじいて計算する人がたくさんいました。
その技術を身につけるためには、何年もの練習が必要だったでしょう。
ところが電卓が登場しました。
私は残念ながらそろばんができません。
しかし、そんな私でも電卓を使えば、数字をペケペケペケっと入力するだけで、かなり複雑な計算でも一瞬で答えを出すことができます。しかも計算ミスもほとんどありません。
何年も練習して身につけてきた能力の一部分を、何の訓練もしていない人が道具を使うことで代替できるようになったわけです。
もちろん、私はそろばんを否定しているわけではありません。
そろばんには計算以外にも、集中力や数に対する感覚など、さまざまな効果があると思います。
ただ、「計算結果を速く正確に出す」という目的だけを考えれば、便利な道具が登場したことによって、人間がそこに費やす時間は圧倒的に少なくなりました。
そして今、私たちはそれよりもはるかに大きな変化の真っただ中にいるのではないでしょうか。
それがAIです。
AIを使えば読書感想文は数秒でできる
例えば、小中学生の夏休みの宿題の定番に「読書感想文」があります。
今ならAIに、
「夏目漱石の『坊っちゃん』について、中学生が書いたような読書感想文を2000字程度で書いて」
と頼めば、ものの数秒で文章を作ってくれます。
1000字と言えば1000字程度にできますし、2000字と言えば2000字程度にもできます。
そうなると当然、
「AIを使ったら子どもが本を読まなくなる」
「AIに書かせたら宿題にならない」
「だからAIは禁止」
という話が出てきます。
学校の先生がそう考えられる気持ちも分かります。
しかし私は、そこで一度立ち止まって考える必要があると思っています。
もしかすると、それは馬車の時代に自動車が登場した時に、
「自動車なんて使ったらダメだ。今まで通り馬車を使いなさい」
と言っていることと、それほど変わらないのではないでしょうか。
AIがこれからなくなっていくのであれば、それでもいいでしょう。
しかし、おそらく逆です。
AIはこれからますます進化し、今よりはるかに多くのことができるようになっていくでしょう。
だとすれば、子どもたちに必要なのは「AIを使わない能力」なのでしょうか。
私はむしろ、
「AIをどう使えば、今までできなかったことができるのか」を考える能力
ではないかと思っています。
「AIにやらせたら楽になる」と気づくことも思考力
誤解のないように言っておきますが、私は「夏休みの宿題は全部AIにやらせてズルをすればいい」と言っているわけではありません。
私が大切だと思っているのは、その一歩手前です。
「これ、AIを使ったらもっと簡単にできるんちゃう?」
と考えることです。
誰かが最初に、
「AIに読書感想文を書かせたらどうなるんやろ?」
と考えたはずです。
そして実際にやってみた。
すると数秒で文章が出てきた。
「うわ、こんなことまでできるんや!」
この発想こそ、これからの子どもたちには非常に大切なのではないでしょうか。
「これをAIにやらせたらどうなる?」
「この作業とこの作業を組み合わせたら?」
「こんな指示を出したら、もっといいものができるんじゃないか?」
そうやって試行錯誤する。
私は、子どもたちにそういう頭の使い方をどんどん練習してほしいと思っています。
宿題そのものを変えていけばいい
例えば読書感想文なら、
「AIは禁止です」
で終わるのではなく、
まず自分で感想文を書いてみる。
次にAIにも同じテーマで書かせてみる。
そして、
「自分の文章とAIの文章は何が違うのか」
「自分の方が優れている部分はどこか」
「AIの方が上手な部分はどこか」
「AIの文章には、自分が実際に感じたことがどれくらい表現されているのか」
「AIの文章をもっと良くするには、どんな指示を出せばいいのか」
そんなことを考察させても面白いと思います。
従来の宿題をAIに奪われないように守るのではなく、AIがあることを前提として、宿題をもう一段上のレベルに進化させればいいのではないでしょうか。
これは読書感想文だけではありません。
調べ学習でも、英作文でも、自由研究でも同じです。
AIを使えば簡単にできてしまう部分はAIに任せ、その分、人間はもっと深く考える。
「なぜ?」
「本当にそうなのか?」
「もっと良くできないか?」
「別の使い方はできないか?」
そういうところに頭を使う。
これこそAI時代の勉強ではないでしょうか。
基礎学力がいらなくなるわけではない
ただし、ここでもう一つ大切なことがあります。
AIがあるから、勉強しなくていいという話ではありません。
自動車があるから歩けなくていいわけではありません。
電卓があるから、数の意味を理解しなくていいわけでもありません。
同じようにAIが文章を書いてくれるからといって、読む力や書く力、語彙力、考える力が必要なくなるわけではありません。
むしろ逆だと思います。
AIが出してきた答えが正しいのか。
この文章は本当にいい文章なのか。
もっと良い答えはないのか。
それを判断するのは人間です。
そして、その判断をするためには、その人自身に知識や語彙力、読解力、思考力が必要です。
何も知らない人は、AIが出した答えを評価することすらできません。
ですからこれからは、
「自分の能力を高めること」と「AIを使いこなすこと」
この両方が必要になるのだと思います。
AIを使って「何をするか」を考えられる子へ
教育というものは、今年の夏休みの宿題をどう提出させるかだけを考えるものではないと思います。
その子が10年後、20年後、社会に出た時にどんな力を持っている必要があるのか。
そこから逆算して考える必要があります。
AIはおそらくなくなりません。
むしろ、今よりはるかに身近な存在になっていくでしょう。
それならば、
「AIを使ったらズルができるから禁止」
という短期的な発想だけではなく、
「AIを使って、もっと面白いことはできないか?」
「AIを使えば、今までできなかった何ができるのか?」
「AIに任せられる部分を任せて、人間は何を考えるべきなのか?」
そんなことを子どもたちが日常的に考える教育に変えていく必要があるのではないでしょうか。
馬車の時代に必要だった能力と、自動車の時代に必要になった能力は同じではありません。
そろばんが中心だった時代と、電卓やコンピューターが当たり前になった時代でも、人間に求められる能力は変わりました。
そして今、私たちはAIによって、それ以上に大きな変化の入り口に立っているのかもしれません。
だからこそ教育も、今までと同じことを守るだけではいけないと思います。
AIに宿題をやらせる子を育てるのではなく、AIを使って、今まで誰も思いつかなかったことを考えられる子を育てる。
これからの教育で本当に大切なのは、そんな「頭の使い方」を子どもたちに身につけてもらうことなのではないでしょうか。

